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不幸だった僕が幸せを語るシリーズ

2019年3月30日


「幸せと不幸」というのは「生か死か」と似たようなテーマです。
死んだように生きるのは不幸でしょうし、辛くてもやりたいことができる暮らしは幸せでしょう。

この二択、みなさんの考え方で変わることです。
面白くない日々に愚痴をこぼしている人も、毎日楽しくて仕方ない暮らしの人も、考え方が変わると一気に逆転します。
そんな視点のお話です。

死にそうだと思う体験

みなさんは死にそうだと思った体験ありますか?

災害で命を落としかけた人も大勢いるかと思います。
たった1分、1秒の判断の差が生と死を分かつというのは、とんでもなく理不尽です。

誰でも「あのとき死にそうだったな」と思う体験はあるものでしょう。
実際に死にかけたこと、トイレに間に合わなかったこと、クライアントを怒らせてしまったこと、社長にため口を使ってしまったことなど。
人によって死にそうだと思う基準は違っても、みんな「死」というものを意識して生きているはずです。

あのときこうだったら、こうしていれば、というタラレバの話で後悔を繰り返してしまうこともあるでしょう。
そうやって考えてしまうことは不幸だと僕は知っています。
何故ならば、僕自身が毎日後悔して暮らしてきたからです。

拉致とリンチ

僕が確実に死にかけたと思った体験です。
人によっては自業自得だと仰るかもしれません。

働いていた夜のお店に僕は拉致監禁・リンチをされました。
白昼堂々車に押し込まれ、連れ去られ、有り金全部と携帯を奪われ、美容室で頭を丸められ、お店に監禁されて3時間ほど殴られ続けたのです。
関わっている人の多さから、お店の背後にいる人たちが関わった犯行だと思っていました。

「お前が従業員そそのかして辞めさせてるんだろ!」
もの凄い剣幕でお店の幹部たちに怒鳴られて殴られます。

僕に非があることであれば納得もできますが、これは全くの濡れ衣でした。
殴られ蹴られ、僕の客や部下、後輩をどうにかしてやる。それができなければヤクザにお前を売り渡す!と脅されました。

犯行時間が昼間だったのもあって警察に通報してくれた方がいて、主犯の社長たち幹部に連絡が届いたことで暴行の手が止まりました。

そこから社長は一気に僕の味方を装いました。
「お前が心配だから。あいつらが勝手に殴った。俺はお前の味方だから。打ち合わせが終わったら俺がお前を家まで送ってやる。やりすぎだ!」と、まぁ白々しい台詞が出てきます。

嘘だと分かってはいたものの、自分の身を守らなくてはならないので静かに社長についていくことにしました。
殴られすぎて歩くのもやっとです。
身体は熱を持ってズキズキと痛みますし、顔もパンパンです。
近くのカフェで飲み物をご馳走になり、社長から口止めをされました。

「殴ったあいつらはダメだ。でも今回車を出したあいつは無関係だ。あいつは俺に言われて車を出しただけだ。だから許してやってくれないか」

許す許さないで言えば、許せないのが普通です。
しかし、ヤクザに売り渡すと電話の交渉までされていたのですから怖くてなりませんでした。
何より、犯罪を簡単に実行するヤバイ奴がいるという事実が、従う以外の選択肢を与えてはくれませんでした。

警察との面会も、被害者である僕が「問題ありません、大丈夫です」と言ったことで15名ほどの警察官たちは本部に戻っていきました。
「お前が落としたメガネ、車に轢かれて壊れちゃってるけどうちで預かってるから絶対に取りに来いよ?」
指揮を執る警察官が去り際、笑顔で静かに言いました。

「待ってるからな!」

このときは意味が分からなかったものの、警察にメガネを取りに行ったという言い訳を用意してくれていたのです。

満身創痍の帰宅

拉致が発生してから12時間が過ぎ、携帯も財布も戻ってきました。
財布の中身は1円もありませんでしたが、十分帰宅する理由になりました。

辺りは見慣れた夜の街です。
街にいた人たちが僕を見てギョッとした顔をします。
僕を知ってる人も声をかけてきません。
自分がいたいつもの街とは様相が違って見えました。

被害者になったことで、夜の街が恐ろしい場所のように思えました。

足を引きずり、身体を引きずり、必死に大きな駅へと向かいます。
一歩でもお店から距離を置いて自宅に近づきたかったのです。
そして帰宅できることを喜びました。
問題はお金がないことでしたが、友達に片っ端から連絡して迎えにきてくれる人が一人だけ見つかり、帰宅することができました。

深夜0時を過ぎて、丸坊主で顔をパンパンに腫らして帰ってきた僕を見て家族は驚きました。
「終わったから……」とだけ言い残してその日は眠りました。
ろくに寝ずに働き続けて拉致されてリンチされてお金も奪われてしまったのですから、酷い話です。

疲れ切っていた僕は自宅に帰れた安堵感から、生きていることを幸せだと感じました。
死にかけた経験のおかげで僕は家族や友達に感謝するようになりました。

奪われたと感じて後悔の日々

多くの人が不幸だと感じている理由は、”奪われている”と感じているからです。
時間、お金、命、努力、多くのことを他人に奪われたと思うから、不幸だと感じるわけです。

僕にとっての拉致・リンチ事件も同じでした。
社長たち幹部の責任を僕に押しつけて”見せしめに”犯行を行ったのです。
お店の人間の悪意によって僕のお金や時間や健康は奪われたように感じていました。

病院に行った結果、全治1ヶ月の全身打撲と、肋骨が2本折れていました。
「お前が調子に乗ってたんだから、こないだニュースになってたホストみたいに死ね!」
何度も頭の中で繰り返される怒号は、なかなか消えませんでした。

定期的に社長たちからの電話が鳴り、「お前に仕事をやろうと思って……」
警察に行くなよ?という意図の話をされます。
着信拒否をしても、携帯を変えて連絡が届きます。

お給料をまともに払ったこともないのに仕事を与えると言うのですから、不思議な話ですよね。
組織ではなく個人による犯行であることが、だんだんと見えてきました。

しかし僕は、お金、健康、生活、信頼できる仲間、友達など、全てを奪われた気持ちでした。
そこから何年も精神的に不安定な日々が続きます。

背後から足音がすれば走って逃げ、誰が近づいているのかを確認するようになりました。
自宅のドアが突然開いたときも恐怖で後ずさり。
何らかの勧誘で人が訪ねてくれば息を殺してやり過ごします。
物音がしたときでも恐怖で動けなくなってしまいました。

あの日、外出しなければ良かったという考えが頭の中をぐるぐる回りました。
そこにたどり着くまでに関わった人たち全てを恨んだこともありました。
完全に逆恨みです。

芽生えた後悔が和らぐまでずいぶんと長い時間が必要でした。
ネットで情報を集めたり、ゲームをしたり、好きだった音楽を再開してみたり、HTMLを学んだり、小説を書いたりなんかもしました。

色んなことを始めてみたものの、恨みは消すことができないまま日々は過ぎていきます。
ぶつける相手のいなくなった怒りをどうして良いのか分からず、引きこもるようになりました。

残された僕、居なくなった人

引きこもった日々は、毎日が辛い日々でした。
被害者なのに、犯罪者になった気持ちです。
警察にメガネを取りに行ったのですが、当時は脅迫の電話が鳴るため「訴えない」と伝えてしまいました。

「気を強く持って生きろよ?」
刑事さんはそう言ってくれたのですが、僕は不安と後悔でそれどころではありませんでした。

それからは、精神科の薬で毎日起きているのか、寝ているのか分からないような日々でした。
たまに、ネット上で知り合った絶対に触れる距離にいない相手と会話することもありました。
繰り返し悩まされる後悔と、起きている間ずっと感じる吐き気、自分が不幸だという認識に悩み続けました。
良い大人が情けない話ですが、どうにもなりませんでした。

少女の死

そんな状態の夏、親しかった19歳の少女が僕に言いました。
「あなたは私にとって大切な人だから、死なないでね」
彼女と僕の最後の会話、最後の言葉です。
その2ヶ月後、彼女は留学先の海外で事故に遭い亡くなりました。

彼氏もいて僕と年齢も離れた彼女が、どうして僕にそんな言葉を投げかけたのかが分かりませんでした。
自殺しそうな危うさを感じたのかもしれませんし、意味など特になかったのかもしれません。
普段、明るく笑う彼女が珍しく静かに言ったので耳に残りました。

彼女の死をきっかけに、僕は自分の過去を遡り始めました。
自分に起こったことを飲み込んで前に進むためです。
過去をできるだけ精算しようと考えたのです。

事件の主要メンバーの名前を検索してみたり、お店の名前を調べたりしました。
しかし、彼らはSNSをやっておらず、お店も犯行から1年経たずに潰れていました。
復讐心に燃えていたので残念に思う反面、ネットには僕を知る人がいないと感じることができたのは嬉しい知らせでした。

安心したので、夜の仕事をしていて知り合った普通の人たちの近況をネット上で探しました。
別のお店で働いていたときの仲間たち、当時繋がりのあった人たちなど、一部の人が検索に出てきて懐かしい気持ちになりました。

末期がんだったおじいさん

末期がんなんだと僕に笑いながら言ったおじいさんとは、何度もマクドナルドで会って話をしました。
待ち合わせたわけではなく、お互いに同じ時間にその店舗を愛用していたのです。

「彼は僕の友達。こっちが僕のワイフ」
そう言って奥さんを紹介してもらうこともありました。

彼は末期がんで余命半年と宣告を受けていたのに遙かに長生きしていました。
ずいぶんと遅くなってしまいましたが、数年前に亡くなっていたことを知ることになったのです。
おじいさんと話をした日々が思い起こされました。

「僕はここが好きなんだ。美味しいし、色んな人が見られるだろう?あとコーヒー安いからね」
毎朝、窓際の席に座ってコーヒーを飲みながら手帳に何かを書き記しているおじいさんでした。

おじいさんとの思い出を思い返して、会話を思い返して、Facebookなどの報告や、ネット上に残った彼の写真を見つけて、僕は励まされていきました。
拉致されたときからずっと死にたいと思っていた僕に、「死ななくて良かったのかもしれない」「生きて戻ったことには意味があったのかもしれない」と考える余裕がでてきました。
このときから僕は、少しずつ前向きになっていきます。

祖父の死

昨年、90歳を超えて元気だったおじいちゃんが亡くなりました。
最後まで頭もハッキリしていて新聞を読んだりする元気なおじいちゃんでした。

「どうってことはないぞ」
おじいちゃんが口癖のように言っていた言葉です。
肺に水が溜まって苦しかったはずなのに、繰り返し言っていたそうです。
叔父さんたちも体調を心配して具合を聞いたのですが、医者嫌いだった祖父は「どうってことない」と言い続けたのです。
具合が悪いのが続けば、当たり前になってどうってことのないことに変わるのかもしれません。

意外と世の中どうってことないのかもしれないと思わされたときです。

お通夜とお葬式で僕は久しぶりに親戚に会いました。
拉致されたあの日から、ずっと顔を見せなかった僕に親戚たちは優しく今まで通りでした。
子供の頃に遊んでもらったときのように笑いかけてくれたのです。

おじいちゃんが巡り合わせてくれたと親族全員で語り合いました。
親不孝で、祖父母不考で、親戚不考だと自分を責めていました。
情けなく思っていたのですが、自分が幸せな環境にいることに気がつきました。

悠々自適に暮らす

弔辞の際、悠々自適という言葉を叔父さんが口にしました。
「悠々自適な暮らしができて父は幸せだったと思います」

恥ずかしながら、悠々自適の意味を考えたことがありませんでした。
検索してみると、自分の思うままに心静かに暮らすことを言うそうです。

おじいちゃんは悠々自適だっただろうか。
じゃあ、僕は悠々自適だろうか。
そんな考えが頭に浮かびました。

今が幸せだということに気がついた

僕は殴られている間、死を意識しました。
お店の幹部に土下座をして「すみません!」と謝りながら、親、兄妹、祖父母、親しい友人に心の中で謝っていたのです。

あのときしてもらったことのお礼言えなかったな。
あのときやっちゃったこと謝ってなかったな。
こういうこと言えばよかった。
伝えておきたいことがあった。
何も言わずに殺されちゃうけど、ごめんね。

そういう後悔と謝罪が頭の中に渦巻いていました。
そして同時に生きて帰れるなら、もう一度みんなと会えるならお金なんてなくても良いって思っていました。

無事と言って良いのかは分かりませんが、命がある状態で帰宅できたことは幸せなことでした。
信頼できる人たちの裏切りによって何を信じて良いのかが分からなくなっていたとしても生きて帰ってこられたことは最高に素晴らしいことでした。

確実に言えることは、生きて何かを伝えられることは幸せだということです。
息を吸えることも、飲み物を飲めることも、お腹が減ることも、背中の痒いところに手が届かないことも、全て生きているからできることです。

生きているというのは、幸せなことなのです。
だから、生きるために働いて、生きるために考えるのです。

余分にお金を持っていることは、幸せのひとつの形に過ぎません。
絶対的な幸福は、今生きていることだと僕は思います。

拉致された日の夜、ボロボロだった僕を人が避けて通る街は、冷たい人たちばかりだと思いました。
でも、それで良かったのではないかと考えるようになりました。
きっと誰かが話しかけて優しくしてくれても、不安と恐怖でパニックになっていたに違いないからです。

毎日誰かがいなくなっています。
そして、毎日誰かが残されています。
その意味を考えられることは、幸せなことでしょう。

出会いによって僕は変化しました。
この出会いもなく、あのままだったら不幸なままでした。

僕に起きた変化と言えば、友人・知人の死を知ったことだけです。
時間はかかりましたが、視点が変わったことで不幸のどん底だった自分を幸せだと感じられるようになりました。
今でも僕は生活に制限があります。
それでも前向きに生きられるようになって、毎日に楽しさが戻ってきました。

今、辛いことの真っ最中の方がいたら、好きなこと探してください。
嫌なことを辞めてみてください。
仕事を辞めるのは難しいでしょうが、やりたいことや、知りたいことを追求してみてください。

Omnia mea mecum porto
知恵こそ最大の富なりです。

毎日少しでも楽しく、悠々自適に暮らせることを心がけて僕は幸せな日々を過ごしています。
みなさんも悠々自適を考えてみてください。
案外「どうってことのない日々」なのかもしれません。

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