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心霊写真から学んだ『満たされた暮らし』

2019年4月2日

幽霊もいるかもしれない

あなたは神を信じますか?
僕は信じていません。
神様という存在は、人が生きていくために生み出された知恵だと考えているからです。

でも、見えない霊的な存在や、不思議な力のことは信じています。
プラズマや磁力の影響では説明できないことを体験したからです。

僕は、ちょうど『人面犬』『ハンドパワー』などのオカルトブームが直撃した時代を過ごしました。
不思議な存在を信じる人たちは、子供の頃からの刷り込みによる影響も強いのかもしれません。
バブル~バブル崩壊の暗い時期は、大人の嘘を真に受ける純粋な子供が多かったのでしょう。
現代ほど情報に触れる機会がなかったのが一番の理由です。

心霊写真を狙って火葬場へ

近所に火葬場……というか、焼却炉がありました。
動物などが焼かれる場所で、焼け残った骨が炉の中に確認できることもありました。
この施設は、子供たちの好奇心と恐怖心を同時に刺激し、学校内で爆発的な話題となったのです。

僕を含めたクラスメイト5人ほどのグループで探索に行こう、という話になりました。
心霊写真が撮れたとしても、撮れなかったとしても、当時はそれだけでワクワクしたのです。
毎日知らないことと遭遇できる発見の日々って現代の子供たちには考えられないことかもしれないですよね。

心霊写真よりも……

結論から言うと、心霊写真は撮影できませんでした。
そうだろうね、と頷くあなたの気持ちは分かります。
子供だった僕たちも心霊写真が撮影できると思っていませんでしたから、「やってみたい」「知りたい」という好奇心の延長線にあった探索だったのです。

撮影を終えると近くの公園で、僕と幼なじみの2人が残って話をしていました。
「さっき撮ったやつの中に心霊写真があるといいねー」なんて、心にもないことを言い合って探索の感想を語り合っていたのです。
夕暮れどきの公園はひんやりとした風が後ろから吹き抜けていきます。
暗くなってきたので僕たちは帰ることにしました。

出口の方に向かうと、おばあさんが立っているのが見えました。
フェンスの向こうで公園の中にいる子供たちを眺めてゆらゆらと立っています。
僕と幼なじみは話をしながら公園の出口でおばあさんとすれ違って気がつきました。

そのおばあさんには首がなかったのです。
首元が透けていて、頭の部分が浮いています。

着ていたシャツは胸元が丸く開いた服で、他に首回りを隠すものはありません。
小学生だった僕たちは全力ダッシュで逃げ帰りました。

信じるもの、信じられないもの

翌日、学校でおばあさんの話をしました。
しかし、誰にも信じてもらえません。
「そんな心霊写真よりすげーのと出会うわけないじゃん」と、僕たち2人は嘘つき呼ばわりです。
彼の言うことは、もっともです。
【心霊写真よりすげーのと出会ってしまったこと】は、殆どの人たちに信じてもらえませんでした。

確かに見たはずなのに、否定を繰り返されたことで疑心暗鬼になっていきます。
数日後、現像に出した写真を受け取って確認しながら、幼なじみと探索に参加しなかった別の友人と、首のないおばあさんの話になりました。

「俺達は信じるよ」

彼らは、そう言って自分達の考察を語ってくれたのです。
僕らは、見た物を詳細に語って情報を共有しました。

この話題は大人になった今でも、幼なじみたちと話をするときには必ずと言っていいほど話題にあがります。
あれから20年以上経っているのに、見たことをもう一度体験するように話をして「不思議だったね」と、まとめます。

現代から見たまとめ

おばあさんが幽霊か妖怪かは、どうでも良かったと思います。
光の屈折による目の錯覚だったと言ってしまうことも出来るかもしれません。
再現性がないから奇跡ですし、オカルトと呼ばれるわけです。
もし再現性があったら、それは科学と呼ばれています。

現代のSNSのように話題を共有することは、僕たちにとって重要でした。
当時の大人たちでさえも、嘘か本当か分からないオカルト話で盛り上がっていたのです。
「マッチを食べると飲酒運転で捕まったときにアルコール反応が出ない」などのオカルトトークが事実のように述べられていました。

信じる信じないは個人の自由です。
オカルトトークだという認識があってもなくても、それ自体には大した意味がないのです。
この話題で大切なことは、情報の共有です。
「どれだけの人が自分の言ってることを信じてくれるのか」を計る物差しのようなものだと言い換えても良いでしょう。

人と人の繋がりを維持することは昔も今も会話です。
自分の意思を明確に話せる間柄というのは、大人になっても友情が維持されるものかもしれません。

僕は神を信じていませんが、神や宗教のおかげで暮らしやすくなる人がいるのは事実です。

信じたいものを信じて、共有できる仲間を持つことは幸せな暮らしだと僕は思います。
ノストラダムスの大予言が外れて世界は平和です。
子供の頃のように好奇心の赴くまま暮らせるはずです。

僕たちの冒険の終わりは、いつ来るのか分かりません。
死んでしまうときまで、楽しく過ごすには信じることが必要でしょう。
信じられることを見つけて行動することは、満たされた暮らしに一番近いことです。

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