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迷惑をかけて生きていこうという話

2019年7月6日

迷惑をかけるのが人生

僕は若気の至りが非常に多い若者でした。
中学校生活をほぼ眠って過ごし、高校も中退してしまったため勉強の基礎というものがないと感じています。

僕にとって勉強よりも先に解決しなければならない問題が沢山ありました。
自分の好奇心と、家庭の事情と、僕のことに文句を付ける人たちのことです。

それによって普通でいなくちゃいけない、と強く考えるようになりました。
誰かに迷惑がかかるのでワガママを言ってはいけない。
そう考える子供でした。

若い頃の恥よりも、大人になってからの恥を強く感じるルイス秋村です。

迷惑をかけるなよってきつく友人に叱られたことがあります。
それが宗教の勧誘をしたですとか、マルチ商法の勧誘をしてしまったですとか、他人に対して取り返しのつかない形での失敗はありません。
現在も罪悪感を覚える相手といえば、スカウトマン時代に夜の仕事に引き込んだ人々くらいでしょうか。

それでも迷惑をかけながら生きるというのは普通のことなのです。

他人に尻を拭ってもらって今がある

人間は生まれてから今まで迷惑をかけないことはありません。
あなたが食べるもの、捨てるもの、お金を払ってサービスとして提供してもらってるもの、誰かに話す言葉など。
様々な形で、あなたの行動によって発生した迷惑を被ってる人がいます。

でもそれって悪いことでしょうか?

僕たちは生まれてきたとき、親や周りの人におむつの世話になりました。
総じて日本に生まれた人は、誰かにお世話してもらっています。
幸せに生きる権利がある子供に、大人が優しくしてくれた結果です。

これはある意味で迷惑とも言えることです。

今元気な人たちでも、病気になれば誰かに迷惑をかけます。
それは仕事やプライベートを問わずです。
インフルエンザで出社することがたまに話題になりますが、企業側も迷惑をかけているわけです。

でも人間は迷惑をかけずに生きることはできません。
自分一人では何もできないものなのです。
なんでも自分一人で出来る人の方が少なく、人によって出来ることの数に差があります。

出来ることは少なくても良いが条件がある

我々には迷惑をかける権利がある!と、言い切ってしまっても良いでしょう。
大抵の行動には迷惑がつきものです。
それを許容する大人が減ってきたことによって、現代の余裕のなさが引き起こされているのかもしれませんね。

では迷惑をかけても良い状況とは、どんな状況でしょうか。

僕が思うに『幸せになる行動』くらいは、迷惑をかけても良いと許容してあげてほしいなと考えました。

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