スポンサーリンク

ゲゲゲで学んだ幸せ

2019年5月23日

お金と幸せの考察

『ゲゲゲの鬼太郎』などで知られる水木しげるさんが僕は大好きです。
彼の奥さんが書いたエッセイ『ゲゲゲの女房』も面白かった。
その作品たちに触れて僕が感じたことは『お金=幸せではない』ということです。

お給料をもらえない暮らしで、幸せと不幸を哲学したルイス秋村です。

水木しげるさんの作品には、戦時中の”誰もが貧乏だった時代”のお話が見られます。
ゲゲゲの鬼太郎ではバブル期の儲け話なども取り扱っていて、社会の変化と共に作品が描かれてきたことが分かります。

『ゲゲゲの女房』では、水木しげるが
「貧乏には慣れてます。命までは取られませんから」
と、決めゼリフのように言う場面が出てきます。

「貧乏ならご飯が食べられなくなって死ぬではないか!」
と仰りたい気持ちは分かります。
実際、それは間違っていません。

しかし、貧乏になったとしても、すぐに命を落とすということではないと言っているわけですね。
他人よりもお金のない暮らしをしていても、殺されることは少ないですからね。
戦争を経験した人ならではの考え方だと思いました。

この”のんびりとした捉え方”に僕は強く共感しました。

お金がない=不幸

『お金がある=幸せ』ではないですが『お金がない=不幸』は成立する公式です。
食事を食べることは幸せですが、お金を手に持っていることは直接的な幸せではありません。

お金がほしいと思う場面

無条件に10億円もらえたとして、海外ドラマ『プリズンブレイク』マイケル・スコフィールドのように逃げ回る暮らしはどうでしょうか?
または、海外ドラマ『Heroes』ヒロ・ナカムラのように時間を止める力を得て、命がけで世界を救う使命を与えられることもあるかもしれません。

「お金がほしい」という強い思いは、自分の基本となる暮らしがあって出てくる言葉です。
もし今、ジャングルの奥地にいるのであれば、違う言葉を胸に抱くことになるでしょう。
ジェットコースターに乗っているときに「お金がほしい」と感じる人は少ないですよね。

自分がお金ほしいなーって思うときを想像してみてください。
何かを始めようとしているときではないでしょうか。

暮らしの基盤にある欲

「お金がほしい」と思える時点で、生物的に満たされた暮らしのまっただ中にいます。
飲んでも平気な水があって、死なない程度に食事が食べられて、眠れる暮らしです。

生活に困るほどお金のない人は、「食べ物がほしい」「コーヒーが飲みたい」「お菓子が食べたい」「セーターが欲しい」など、直接的な品物を思い浮かべるからです。

僕たち日本人は、敗戦国という貴重な環境に生まれ育ちました。
それは悪いことばかりでもないな、と僕は考えています。
日本が世界から注目される理由は、アニメや文化のユニークさが受け入れられているとも言えますが、きっかけは戦争に負けたからです。

もし、終戦を迎えないまま戦争が続いていたら、どうだったでしょうか。
民族が滅びていたかもしれませんし、ゲリラ的にテロを行う人種として追われていたかもしれません。

アメリカと世界中が戦っているテロ組織との関係性を考えてもらえれば分かりやすいですが、日本人がテロ組織を率いていた可能性は大いにあり得ることでした。

やりたいこと、やれること

他の人と比較して、今の暮らしを向上させたい人が多くいるから、「お金がほしい」となるわけですよね。
現状に我慢できないのであれば、お金を得る努力をすれば良い話です。
どれだけ頑張っても報われないものですが、戦後の日本よりは幾分マシだと思います。

お金は幸せになるための道具にすぎません。
やりたいと思うことを必ず実行しなくてはいけないわけでもありません。
仮に実行できなくても、お金のない不自由を感じてちょっぴり不幸な気持ちになるだけです。

「お金を得て何をするのか?」について考えなくては、いつまで経っても不幸なままではないでしょうか。

やりたいことにすぐ飛びつける環境になくても、やれることはあります。
Youtuberになりたいなら、話す練習や商品レビューする練習です。
手の届くやれることに集中していたら、いつか手に入るのが幸せなのかもしれませんね。

朝ドラの名作「ゲゲゲの女房」の視聴はこちらから↓


スポンサーリンク