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食事が食べられない暮らしを体験して学んだこと

分け合うということ

収入が不安定な暮らしを続けてきたおかげで、食事を食べられなかった時期のあるルイス秋村です。
夜の仕事に関わっていた頃は、毎日200円で暮らしていました。
現代では厳しいかもしれませんが、当時は200円でも食べられるものの選択肢がいくつかありました。
それでも食事は一日に一度です。

お店の寮で暮らす日々では、食事の問題は大きな問題でした。
寮費は、家賃、水道光熱費が含まれており、給料から自動的に引かれます。
おかげでお風呂やトイレに困ることはありません。
しかし、食事だけは自分で調達しなくてはなりませんでした。

生命線であるお客様

どうしてお金がないのか?と言われますと、罰金があるからです。
遅刻や欠席で罰金になるだけでなく、お客様を呼べないと罰金という日もありました。
過酷なノルマに追われる暮らしでもあったのです。

仕事として、僕たちはお客様を楽しませなくてはなりません。
そのためには食べなくてはなりませんでした。
しかし、「食事を奢ってほしい」とは誰にも言えませんでした。

たまたま食べずにふらふらになって過ごしているところをお客様に見つかり、パンやおにぎりなどをいただくようになりました。
そこから別のお客様に話が伝わり、お弁当を作ってくれるお客様もいたので餓死することなく過ごせました。
僕を救ってくれたのは、お客様の優しさだったのです。

お返し

僕からできるお返しは限られていました。
給料をもらったときに、そのお金で食事に連れて行ったり、デートに誘ったり、些細なプレゼントが僕に出来ることでした。
お金がないなりに分け合うことで信頼を得ていたのです。

その分暮らしはキツくなりましたが、暮らしを支えてもらったという恩に報いることが大切なことだと僕は考えていました。
お返しをすると、金額に見合わなくてもお客様は喜んでくれました。
それを見て僕も嬉しくなったのです。

まとめ

割り切り社会ですが、現代でも義理や人情を求められる社会だと僕は信じています。
「助けてもらったから何とかしたい」
そんな気持ちが人を動かすことだってあります。

義理や人情という言葉で無理難題を押しつけてくる場合もあるので手放しで賛成することは難しいかもしれませんが、義理・人情は案外重要です。
何より、分け合うことは喜びも共有できて幸せなことです。

人と与え合って生きていくことは、これからの時代にも必要なコミュニケーションだと僕は考えています。

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