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加齢を受け入れられないと幸せになれない

2019年9月6日

老齢の夫婦

僕たちが暮らす社会には、加齢を受け入れられない大人が結構いるのではないでしょうか。
大人になれない大人ではありません。
歳を重ねることを拒絶し、若かった頃に出来なかったことを悔やむ人たちです。

それらの後悔は、解消されることはありません。
それどころか、後悔して無駄にしている今この時間までもが後悔に繋がってしまいます。

歳を重ねても楽しい

残った人生のうち、一番若いのが今です。
長い人生において遅すぎるということは、比較的少なめだと思います。

学生時代の恋愛などを取り戻すことができないのは確かです。
それでも、今から出来ることはまだまだ沢山あります。

30代も、40代も、50代、60代になっても楽しいことで溢れています。
普段の暮らしの中で発見も山ほどあります。
未来のことを憂いてばかりいても悲しくなるだけです。

今を楽しく生きるということは、案外悪いことではないと最近になって考えられるようになりました。

そうです。
僕も後悔して暮らしてきた一人です。

役割は変わっていく

僕は息子であり、孫であり、兄であり、伯父であります。
同年代の人たちには、親という役割が追加されていたり、社長になっていたりするかもしれません。
そういった役割は、常時変化していきます。

今、息子であることを、孫であることを、兄であること、伯父であることを楽しめるのは、幸せなことです。
自分に果たせる役割がない場合は、孤独を感じることでしょう。

いずれ孫という役割がなくなり、息子という役割がなくなり……。
最終的に一人の大人という役割しか残らないかもしれません。

そういう刹那的なものが人間の一生だとようやく思えるようになりました。

芸術のように人生は儚く尊い

『冷静と情熱のあいだ』という映画をAmazonプライムで見ました。
プライムビデオは、本当にいろいろな作品を見ることができるのでありがたいです。

作中で美術品の修復に携わる人たちが登場します。
彼らが必死に美しい芸術作品を修復していくことに、僕は疑問を覚えました。

美しい芸術作品を修復することは、人間が死ぬ間際で若返りの薬を飲まされて若返って元気になるようなものではないか。
そう思ったのです。

若返ってしまえば楽しいでしょうし、嬉しいでしょうし、快適かもしれません。
でもそれは芸術として、美しさとして、どうなんでしょうか。

もちろん、多くの人が歴史に残る名画をじっくりと楽しめることは良いことです。
当時の作者も喜んでいると思います。

でも……でもなんか、芸術って儚いから美しいのではないか。
そう思うのです。

人の人生も同じで、儚いから美しく良い人生だったと思えるのではないでしょうか。

仮に若く長く生きられたとして、「俺はまだ竹野内豊みたいな人生が歩めていない」と思ったらどうでしょうか。
若く長く生きられたら、竹野内豊みたいな人生が歩めるまで幸せにはなれないように思います。

限られた人生にこそ幸せはあるのだと受け入れることが幸せの第一歩なのだ、と大人になった僕は思います。
今の年齢、時代を楽しんで生きたいものです。

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